2005-11-25 内田樹の研究室から メモ トラブルが起きるたびに「誰の責任か?」という他責的な語法で問題を論じることが、政治的に正しいソリューションだと人々は信じているようである。 前から申し上げているように、私はこのソリューションの有効性に対して懐疑的である。 「責任者を出せ」ということばづかいをする人間はその発語の瞬間に、その出来事を説明する重要なひとつの可能性を脳裏から消しているからである。 それは「もし、この件について自分にも責任があるとしたら、それは何か」という問いへむかう可能性である。*1 *1:内田樹の文章はある事象に対する釈然としないモヤモヤ感をスッキリさせてくれる。と、そこで終わっていてはいけないのだが・・