毛斯綸大橋

毛斯綸大橋は大阪市淀川区加島と兵庫県尼崎市戸ノ内の間の神崎川に架かる。大正末期に毛斯綸紡績(現グリーンアリーナ神崎というゴルフ練習場になっている)によって架設された全長約200の大きな橋。尼崎側は戸ノ内という旧猪名川猪名川の間の中州で、戸ノ内4丁目、5丁目は「浜」と呼ばれる沖縄出身者が多く住んでいた地域。
戦後1955年に尼崎駅前の青線(非公然の売春地帯)が移って来て「神崎新地」という特飲街(赤線)が出来た。1958年の売春防止法施行以降も料亭・旅館としてしぶとく生き残っていたが1995年の阪神淡路大地震で壊滅。その後復活することはなかった。いまの地番でいうと戸ノ内3丁目31から34番。その斜め前の戸ノ内6丁目10番には「神崎新地」という石碑表示がある稲荷社がある。橋の袂には尼崎東警察署モスリン橋交番がある。
モスリンは毛織物のこと。大正から昭和時代には普段着の着物や冬の襦袢、夏の軍服として流行した。現在ではすっかり廃れ「モスリン」も死語となった。別名メリンス。現代語ならウール。
必殺仕置人」の藤田まことが歌った「十三(じゅうそう)の夜」の3番の歌詞に「もすりん橋」が登場する。切ない昭和な曲である。十三は歓楽風俗街である。
♪園田離れて 神崎過ぎりゃ
恋の花咲く 十三よ
やがていつかは結ばれる
娘(ねえ)ちゃん 娘ちゃん
十三の娘ちゃん もすりん橋を
今日は二人で 渡ろうよ